思えば短い生涯でございました。覚えておいでですか。私が愛しい貴方に呼ばれていた名前を。……いえ、今となっては名前などどうでもよろしいのかもしれません。ひとりの女と、そう思い出していただけるだけで結構でございます。

   そのようなことよりも、如何にして私が今日に至ったのか、そちらの方が遥かに重要です。この限られた時間で語るべきは、その経緯にあるのでしょう。

   今を遡ること二十五年前、昭和二十二年の早春に私は生まれました。

   生後間もないまま教会の門前に捨てられていた私がここまで成長できたのは、真に聖母マリア様と神父様の御慈悲の賜物と云わねばなりません。 私は生まれた時からイエズス様の御加護に恵まれていたのでしょうね。その後も健やかに育つことができました。成長してゆく私を温かく見守ってくれていた神父様の笑顔が今は懐かしいです。

   あの頃は本当に幸せでした。

   学校からの帰り道にあった小さな公園。教会の近くを流れていた小川。そしていつも顔を合わせていた友人たち。そこには遊ぶ子供たちの姿がありました。岸には花が咲き乱れておりました。それを見つめる私の瞳には、たくさんの夢が湛えられていたように記憶しております。

   桜の季節には裏山に薄紅色の花弁が群がり、風に散ればたちまち桃色のカーテンとなって私の視界を華やかに染めてゆく……。今、この風景を上手くお伝えできない自分にひどくもどかしさを感じます。

「卒業おめでとう」

「神父様、今までありがとうございました」

   ふわり、セーラー服の肩に舞い散った桜が美しかったです。

   そより、さざめいていた春風が襟足に佇み、そして去っていったのが優しかったです。

   そもそも孤児でありました私にこれほどの愛情を注いでくださったのは神父様と貴方だけでしょう。心から感謝致します。

     やがて短大を卒業した私が初めて仕事に就いたのは、町の郊外にあった保育園でした。

   共働きや、あるいは片親が多かったのでしょうか。夜になって迎えが来るまでの時間を……それは限られたものではありましたが、私は預けられた子供たちの親代わりとなって共に過ごしました。

   夕闇が迫り、幼い視線の届く彼方にポツリ、ポツリと街の灯りがともるたび、その小さな瞳に涙を浮かべる子供たちの姿には胸が痛んだものです。

   私があの子たちを抱きしめてあげたことだって、一度や二度ではありません。 遂に我が子を持つことは叶わなかった私ではありますが、それでも頬を埋めて泣くあの子らに温もりを与えてあげられたかと思えば、今もこの乳房が仄かに熱くなります。どうかこの子らに神の御加護を。と、願っていたのはそればかりでございました。

   こうして当時の私は、幼子の傍らを我が身の置き場としていたのです。